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Episode.03| わら細工たくぼの歴史
2025/05/30
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”STORY Episode.03”のテーマは、わら細工たくぼの歴史です。

古くから神話の息づく山あいの棚田で稲作を営みながら、地元の伝統文化であるしめ縄を作り続け、その技術をわら細工に活かし発展させてきた「わら細工たくぼ」。その約70年にわたる歴史を「はじまり」「継続」「挑戦」というキーワードに沿って紐解きながら、これまでの歩みをご紹介いたします。

は じ ま り

稲作のはじまり

まず初めに、この地域特有の景観となっている棚田と稲作を支える用水の歴史についてお話します。

100年と少し前、現代表の曾祖父の時代に棚田が切り拓かれました。山奥の険しい斜面を手作業によって開墾し、当時は畑として利用していました。急峻な土地で稲作を行うための用水設備が整っていなかったためです。

七折用水と呼ばれる、現在もわら細工たくぼが利用している用水は、大正9年から工事が始まり総延長34㎞、150ものトンネルを地域住民の手によって掘り進め整備されました。

昭和2年の延長工事によって、ついに水が届き、念願の稲作を始めることができようになりました。

しかし、水が届くのは午前0時以降という決まりがあり、田の管理などの農作業は水が貯まる夜中の3時頃に行うことになりました。過酷な環境での稲作ですが、お米が収穫できる喜びはひとしおでした。

しめ縄作りのはじまり

先代から引き継いだ棚田で稲作を営む傍ら、自分たちが育てたわらで草鞋などの生活用具を作り販売していた穂積 栄さんとツヤ子さん夫婦の元にしめ縄が持ち込まれたことをきっかけにしめ縄作りが始まりました。

日中は農作業があるため制作に充てられるのは夜だけでしたが、夕方にわらを準備し、夜な夜な制作に取り組みました。この時に作られた「鶴の舞」は、今も変わらず作り続けています。

1957年 ここからしめ縄作りの歩みが始まりました。

元々、日本神話の舞台としてしめ縄や神楽の文化が根付いている地域であり、多い時には10月から年末の期間に約4,000個のしめ縄を制作することもありました。

継 続

家業を手伝う経緯

続いては、家業を引き継ぎ、現在のわら細工たくぼの礎を築いた2代目の甲斐 稔さんについてお話します。

両親と祖母のしめ縄作りを見て育ったため、わら細工は身近な存在であり、就職してからも農作業やしめ縄が最盛期を迎える時期には制作を手伝っていました。

そんな折、35歳の時に父が急逝したことをきっかけに、本格的にわら細工の道へと進むことになります。フルタイムの会社勤めを続けながら稲作・しめ縄制作をする、まさに二足の草鞋を履く生活が約40年続きます。

続けていくための方法を考える

仕事を終えてからの限られた時間の中で、田の管理・わらの準備・制作に関わる全ての作業をしなければならないので、効率をあげるための試行錯誤の日々が始まりました。

田の管理は用水の分配時間の都合で、整備された当初から現在に至るまで変わらず深夜に作業しなければならないため、睡眠時間を削りながら稲作に取り組みました。年末のしめ縄制作の時期には、地元の人達の協力を得て、しめ縄を作り続けました。勤務地が異動になった際には、週末に一週間分のわらを車に積み込み、転勤先の家で仕事と生活の合間を縫って制作し、また週末に制作したしめ縄を届けるという方法で乗り越えました。

想像するだけでも大変な生活ですが、先祖代々の田を守るという信念と母の生活を支えたいという思いと様々な仕事を経験した父が残した「しめ縄が一番じゃ」という言葉を信じ、とにかく継続する方法を考え続けました。制作で壁に当たった時には、記憶の中にある父の制作する様子を思い出し解決への糸口を見つけ、前に進みました。

わら細工の次の一歩

一年を通して販売できるわら細工があれば母の生活の助けになるという思いとしめ縄で培った技術を活かしたいという探求心から、新しいわら細工を考案することを決意しました。

新たなデザインを考える中、水引の形をわら細工で表現することを思いつき生み出されたのものが、たくぼの縁起物を代表する「祝結び」です。

現在あるデザインの多くは稔さんによって生み出されました。

歴史ある総角結びから着想を得た「縁―えにし―」

産婆さんが掛けた襷を表現した「湯襷」

力強さと結びつきを象徴した「横綱結び」

互いに繋がりバランスをとる様から平和を祈る心を表現した「平和結び」 など

生活の中のあらゆるものにアンテナを張り、どのようにすればわら細工で表現できるだろうかと、楽しみながら新たなアイディアを形にする、稔さんの挑戦は続きます。

挑 戦

わら細工を「生業」へ

約50年間、副業の域を出なかったわら細工ですが、2016年 現代表の甲斐 陽一郎が専業の仕事として『わら細工たくぼ*』を立ち上げました。

*『たくぼ』の由来は、古くから集落ではそれぞれの家を屋号で呼び合う風習があり、『たくぼ』はその屋号であり、昔から親しみのある屋号が名前となりました。

「生業」として成立させるため、一歩ずつ歩みを進める中で、一人また一人と移住者や地域の仲間が集まり、家族だけで始めた仕事が少しずつ進歩を続け、2024年に『株式会社たくぼ』を設立しました。

これからのわら細工

しめ縄作りから始まった『わら細工たくぼ』の歩みは少しずつ形を変えながら続き、最近ではわら細工が世界へと旅立つようになりました。その一方で年末には地元のしめ縄を作り続けています。時代や環境に合わせて変わりゆく部分と変わらず続けていく部分、そのどちらも大切にしながら、これからも日々棚田での稲作や制作に向き合っていきます。

伝統とは火を守ることであり、 灰を崇拝することではない。

作曲家 グスタフ・マーラー

これは現代表が大切にしている言葉で、先人たちが残した素晴らしいものや技術を尊ぶだけ終わらせるのでなく、今の時代に輝くものとして発展させることが「伝統」であるという考えを芯として、『わら細工たくぼ』に関わる人がそれぞれの思いを持ってわら細工に取り組むことで、「守る」のではなく「進化」し、次の時代へと繋がっていくと信じています。

文責 深井 早智

写真 川しま ゆうこ さん

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